映画でわかるバブル時代のスキー場と今のスキー場のあれこれ

スキー バブル

コラム

今から三十数年前、バブルを謳歌していた人たちが魅了された映画があります。
スキーブームの火付け役にもなった映画「私をスキーに連れてって」は、多くの若者に影響を与え、彼らをスキー場へと向かわせました。
当時のスキーを取り巻く様々なことを探っていきながら、今のスキー事情との違いをご紹介します。

スキーブームの火付け役!映画「私をスキーに連れてって」

映画「私をスキーに連れてって」が公開されたのは1987年秋。大ヒットしたその冬からスキーは一大ブームを迎えることになります。
当時アイドル女優だった原田知世と、のちにトレンディドラマでは欠かせない存在になる三上博史が主演のラブストーリーで、二人のロマンスのみならず、ウェアなどのファッション、ロケ地、BGM、使用された車にいたるまで大きな話題になりました。

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映画のあらすじ

原田扮するOL「池上優」と三上扮する会社員「矢野文男」は、それぞれの仲間や友達と来ていたスキー場で出会い、様々な誤解や行き違いもありながら、順調に愛を育んでいきます。多忙な文男は優となかなか会えないものの、なんとか仕事をやりくりしてバレンタインデーに優や仲間達とともに志賀高原でスキーを楽しむことに。しかし、そんな中、仕事上のトラブルで急遽全員が万座にむかうことになります。二人は無事アクシデントを乗り越えてハッピーなバレンタインになるのでしょうか。

聖地巡礼の先駆け!? 多くの人が訪れたロケ地

この映画でまず魅了されるのは、その雄大で美しい雪景色です。
ロケ地として使用されている志賀高原は、いくつもの広大なスキー場からなっています。その中で「奥志賀高原」「焼額山」「横手山・渋峠」そして「万座温泉」の各スキー場、また「志賀高原プリンスホテル」「万座プリンスホテル」もこの映画のロケ地として当時はたくさんの人が訪れました。

BGMはスキー場の定番曲へ

二人の恋をさらに盛り上げてくれたのは、映画のサウンドトラックです。松任谷由実の主題歌「サーフ天国、スキー天国」、テーマソング「恋人がサンタクロース」、挿入歌として使われた「ロッヂで待つクリスマス(Instrumental)」「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」は30年を経た今も冬の定番曲として愛されています。

映画に登場する車まで話題に!

登場人物が乗っている車も話題になりました。文男の愛車トヨタ カローラII リトラ(GPターボ)、さらに人気だったのは文男のスキー仲間ヒロコ(高橋ひとみ)の愛車トヨタ セリカ GT-FOUR(ST165型)です。SUV車がまだ一般的でなかった当時、4輪駆動のこの車でスキーに行くことも若者のトレンドになりました。

当時スノーボーダーはほぼいなかった?

映画「私をスキーに連れてって」はスキーブーム到来に大きく関わりましたが、その当時スノボというのは一般的にはまったく知られていませんでした。そのため、ブーム真っ只中のスキー場はほぼ100%スキーヤーでごった返していました。もちろん映画の中にもスノーボーダーは見当たりません。当時、休日はリフト待ち30分以上、滑り降りるのに5分なんてことは普通でした。人々は寒い中立ったままで30分以上も並んで、それでもスキーが楽しくて仕方なかったのです。映画の影響で、若者たちはスキー場に素敵な出会いも期待していたのでしょう。

1990年代後半、下火になってきたスキーに取って代わって人気が出てきたのがスノボでした。サーフボードにも似た1枚の板でエキサイティングに滑るスノボに、若者たちの興味は移っていきました。
映画当時のゲレンデのスノボ率はほぼ0%なので増えるというのは当然で、現在は40から50%というところです。中高年には根強い人気のスキーは、やはり今でも半数は占めています。

しかし、世界に目を向けると、意外なことにスキーヤーが大半で日本のスノボ率はずば抜けて高いようです。

ゲレンデファッションの今昔

映画の中で原田知世が着ているのは、現在でもスキーウェアのトップブランドを誇る「フェニックス」です。彼女の清楚なイメージと真っ白な上下のウェアがぴったりで、そのキュートさに男女ともに魅了されました。当時、スキー場では真っ白のウェアを着た女の子が増えたことも話題になりました。

しかし、バブルの時代の主流はやはりカラフルで派手なウェアでした。
シルエットも、その少し前までは身体にフィットしてスリムなタイプでしたが、街着同様大きな肩パットのウェアの男女は、スキー場でもバブル時代の象徴でした。

時は流れて現在は、のちに出てきたスノボのラフでダボっとしたシルエットの影響で、スキーウェアもきらびやかなイメージからカジュアルなイメージに変わってきました。かっちりした肩パットやキラキラしたボタンは影を潜め、その代わり機能性や保温性、汗をかいたときの通気性も兼ね備えています。
パステルはもちろん、黒やカーキ、迷彩、またバブルの頃とはひと味違うモダンでカラフルなプリントを無地のパンツと合わせたりと、今は多種多様に楽しめます。

スキー板も時代とともに進化

ウェアも随分機能的になりましたが、スキー板の変化には目を見張るものがあります。映画で使われているのは、今もスキー板のトップメーカー「ロシニョール」ですが、各メーカーこの数十年で機能性、操作性が格段に優れ、また用途によっての多様化も進みました。

昔のスキー板の特徴は、簡単にいうと「長くて細い、そして真っすぐ」です。
当時は身長プラス10から15cmぐらいが適当とされていたので、今に比べると相当長い板を使っていました。

その当時から今に至るまでスキー板は進化し続け、現在の板は「短くて太い、そして真っすぐではない」のです。今の板の長さの適正は身長プラスマイナス5cmぐらいで自分に合った板をお店で相談すればいいでしょう。
太さとは板の幅のことですが、これもずいぶん太くなって安定性が増しました。また先端と後ろの部分は太く真ん中が細くなっています。サイドカーブが付いたことで曲がりやすさが飛躍的にアップしました。また先端に向けて上に反っていて、パウダースノーの新雪も滑りやすくなりました。
これらの進化のおかげで初心者でも滑りやすくなり、いち早くスキーの楽しさを感じられるようになっています。

今や連絡手段はスマホ、昔は?

さて、時代で変化したのは、ウェアや用具だけではありません。それは私たちの「連絡手段」です。

実は映画「私をスキーに連れてって」の中で、三上博史演じる文男やその仲間たちはなんと「アマチュア無線」を連絡手段として活用しています。アマチュア無線といえば、趣味のひとつで自宅で夜な夜な無線仲間たちと交信する、従来そんなイメージがありました。携帯電話が普及していないこの映画の時代に、まるで携帯電話のような使い方で、車載したり小型の無線機を腰に付けてゲレンデを滑り、ランチの注文を先にレストハウスにいる仲間に気軽に頼んだりしていました。
当時、若者の目にこれが、カッコいい!と映り、アマチュア無線もブームになりました。

今や、これは携帯電話の登場で当たり前になり、さらにスマホでゲレンデでも簡単に撮影できたり、ランチの混み具合を調べたり、と進化は止まりません。

ゲレンデに出るときは、緊急時のためにも携帯の充電はしっかりとしておきましょう。また、スキー場のパトロールセンターやレスキューの電話番号を携帯電話に登録しておくことをお勧めします。

ゲレンデで気分が盛り上がる曲

スキー場といえば、雄大な雪景色とともにそこで流れる音楽も気分を盛り上げてくれます。また車で行く場合は現地までの車内でも音楽を聴く人は多いです。

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映画の当時、カーステレオはカセットテープで、お気に入りのテープをいくつか積んで走っていました。
今なら車の中でもブルートゥースを飛ばして好きな曲を聴き放題です。ツアーバスの中でもスマホに入れた音楽をイヤホンで聴くことができます。

映画でも使われていたユーミンの「恋人がサンタクロース」「BLIZZARD」「サーフ天国、スキー天国」は、ゲレンデで聴きたい曲の定番として昔も今も愛されています。CMでスキーの曲として定着した広瀬香美の「ロマンスの神様」「ゲレンデがとけるほど恋したい」も人気です。スキーがテーマではありませんが、山下達郎の「クリスマスイヴ」や、レミオロメンの「粉雪」、桑田佳祐の「白い恋人達」もゲレンデでよく流れています。

スキー人口の今昔

バブルの到来や映画の人気と相まってスキー人口は、1990年代後半は1800万人を超えることもありました。当時はまだ少数だったスノーボーダーは、若者たちの間で少しずつ広がっていき、スキーほどではありませんがその後ブームにもなりました。

しかしバブルの崩壊とともにスキー人口は減少しスキー場は衰退し始めました。若者がスマホでゲームやSNSなど手軽に遊べるツールを手にしはじめ、お金のかかるレジャーに興味を持たなくなったのも一因でしょう。

そんな低迷期を経て近年、スキー人口は少しずつ復調の兆しが見えています。
映画「私をスキーに連れてって」公開30周年になる2017、2018シーズン、JR東日本がキャンペーンを展開しました。そのキャンペーンのコピーは「私を新幹線でスキーに連れてって」でした。
懐かしい映像やBGMで、またスキー行ってみようかな、と思わせるCMはスキー客の増加に一役買ったでしょう。

海外のスキー客も激増し、施設やレストランも年々おしゃれになっています。

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映画の時代に家族とスキーを楽しんだ世代が、今、親になってまたファミリーでスキー場に来るようになっています。それに合わせて小学生以下の子供のリフト券無料、子供のスキー教室、保育ルームなどファミリー対応も充実してきました。

スキーバスは昔も今も楽々で人気!

スキーバスは現在も多くの人に利用されています。
映画「私をスキーに連れてって」のヒロイン優と友人の恭世がオープニングで乗っているのも信州に向かう夜行スキーバスです。
映画以降のスキーブーム期は、スキー場に向かう道路は行きも帰りも大渋滞でした。今はそこまでではありませんが、悪天候時や土日の周辺道路はやはり混みます。一日滑って疲れた状態での運転は、ドライバーには眠気との闘いです。同乗者も気兼ねして頑張ってはみるものの、ついには爆睡、というのはよくある話です。

楽しいスキーですが、いざ行くとなると大荷物です。
車は楽ですが、ドライバーの負担が大きい、運転できない、雪道は不安などとなると、集合場所から現地まで寝ていても連れて行ってくれるツアーバスは安心です。ランチにビールを飲んでも大丈夫ですし、一人乗車や女性だけのグループでも気軽に参加できます。

スキーバスツアーには、朝起きたらゲレンデという夜出発のほか、出発地により異なりますが、朝出発といった日帰りなどもあります。レンタル付きのプランは特に初心者におススメです。

二人の恋は志賀高原から始まった!

映画「私をスキーに連れてって」で雄大な雪景色を見せてくれたのは、長野県の志賀高原スキー場です。18ものスキー場を抱える広大な志賀高原の中から、映画に登場するゲレンデを紹介します。

二人の出会いの場所である「奥志賀高原スキー場」はその名の通り志賀高原の一番奥に位置するスキー場です。その分積雪も豊富で、春スキーも存分に楽しめます。

ヒロイン優が友達と泊まった「志賀高原プリンスホテル」のある「焼額山スキー場」は奥志賀の隣にあり、山頂でつながって行き来が可能です。通称「ヤケビ」と呼ばれ、現在ではスノーボーダーにも人気のゲレンデです。

「横手山・渋峠スキー場」は主人公の二人が久しぶりにデートしたところです。日本一標高の高いスキー場で、お天気が良ければ遠くに富士山が望めます。

横手山の山頂の電波塔は、クライマックスで二人が万座を目指して滑り始める印象的なシーンのスポットです。また、映画には登場しませんが、「横手山頂ヒュッテ」で食べる焼き立てパンは絶品で、日本一標高の高いところにあるパン屋さんとしてスキーヤーや夏のハイカーにも有名なお店です。

まとめ

皆さんのご両親世代のスキーブームと比較しながら現在と昔との違いを紹介しました。
どんどん進化したモノから今もその人気が変わらず愛されているモノまで、比較してみると様々あります。
昔のことをもっと色々教えてもらったり、スキーの今昔を話題に盛り上がってみるのもいいでしょう。

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